白血病治療

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1年のうち2回ほど

一時退院して一度ごはんを作ってくれた。


治療は抗がん剤と移植の予定で進んでいった。骨髄移植は一生ドナーを待ち続け死んでいく人もいる。また骨髄移植が成功するとも限らない。そんなことをお医者さんはいっていた。


抗がん剤はいくつかジャンルが

分かれていて、それぞれ人にあう

薬を投与していく。アレルギーのある

母はことごとく薬があわない。


骨髄移植の前の抗がん剤治療は

元気な細胞を殺すほど強力な抗がん剤


母はすこしずつすこしずつ

目に見える角度で小さくなっていった。





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はじめは不安だらけだったけど

いつもと変わらないお母さん、

なにが病気なんだかわからないね

なんていって笑ってた。


抗がん剤のあれで

髪が抜けたりさらにまるくなったり


なんだ可愛いじゃんっていって

たくさん笑ったりして、

似合ってないかつらに似合ってるよ

なんてお世辞いったりした。


小さいことがすごく愛おしかった。





さようならお母さん

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お母さん癌なんやって、かえっておいで

そんな当然の父からの電話。


約1年3ヶ月の闘病を経て

母はこの9月に旅立った。


家族にはあっというまで、

本人には果てしなく長く感じたであろう

あのときをここに残しておく。

 

母とすごした特別な時間、

そして今まですごした当たり前の日々を

忘れないようにするため。


わたしの中で生きているそう

いつでも思えるように。


2015年の6月、ちょうど56歳の誕生日を迎える1週間前、咽頭癌の半年検診の血液検査で白血病が発覚した。


たった半年たたず、血液中の99%の細胞が癌、しかも形質細胞性白血病という白血病患者の中でもかなり珍しい患者となっていた。

 

当初医者から告げられた余命は2ヶ月。

もちろん母は知らないし、

わたしも最近知った。はじめは

数ヶ月っていってたのかな、


もちろん本人は知らない。

治ると最後の3日前くらいまでは

思っていたと思う。

それくらい強い人だった。


はじめて話を聞いたときは 干からびる

くらい泣いたのだけはちゃんと覚えてる。